1999年08月18日
惰性的存在
大切なのは、誰かに必要とされる、という事。それでなければ意味がない。難しいのは、誰かに影響を与える、という事。それがなければ無に等しい。
ただ過ぎる時間の積み重ねを漫然と繰り返す僕の脆弱で惰性に満ちたこの精神の有り様。現状肯定主義者達の嘲りの声を受け止める事も出来ずにただ決められた空間の中で夢を見続ける事だけが唯一の幸せ。僕、僕、僕の弱さ、僕の過ち。存在意識のなんと薄っぺらなことか。
僕は?ここにいる。貴方もそこにいる。その証明はない。100年も要らない。たった一瞬で僕らは消え失せてしまう。アンタナンカイラナイ、と言われる事。オマエナンテヒツヨウナイ、と捨てられる事。蔑まれ疎まれ省みる人が一人も居なくなった時、人は殺されるよりも簡単にそこから消滅してしまえる。否定が僕らを圧迫しその呪縛を断ち切る術はない。
僕は叫ぶ。確かにいるのだと。貴方もそこにいるのだと。息づいている。それを拒否する事は許されない。息づかなければならない。
何度も叫ぶ。何度も叫ぶけれども、その声は弱い。僕だって、とてもとても、弱いんだ。
僕は?ここにいる。貴方もそこにいる。その証明はない。100年も要らない。たった一瞬で僕らは消え失せてしまう。アンタナンカイラナイ、と言われる事。オマエナンテヒツヨウナイ、と捨てられる事。蔑まれ疎まれ省みる人が一人も居なくなった時、人は殺されるよりも簡単にそこから消滅してしまえる。否定が僕らを圧迫しその呪縛を断ち切る術はない。
僕は叫ぶ。確かにいるのだと。貴方もそこにいるのだと。息づいている。それを拒否する事は許されない。息づかなければならない。
何度も叫ぶ。何度も叫ぶけれども、その声は弱い。僕だって、とてもとても、弱いんだ。
Posted by たおまさ at 17:50