1999年07月18日

夏について

 なにげに点けたテレビでやっていた高校野球を見てしまったのがいけなかった。
 不覚にも、感動してしまった。

 試合は貴志川高校対箕島高校。大差でリードされた箕島が底力を発揮してゲーム中盤で逆転、貴志川のピッチャー交代に付け入って一気に突き放すという劇的なものだった。
 試合を見ながら感じたことは、彼らの置かれている立場のギリギリさというのは尋常ではないという事だ。負ければ全てが終わる。3年生は最後の夏だし、1、2年生にしても、来年も野球を続けているという保証などない。クサい言い方かもしれんが、彼らは自らの青春を背負って戦っているのだ。美しくないわけがない。
 真剣に見ると迫ってくるものがある。一球に一喜し一憂する、虚飾のない感情が躍動しているのを見ると胸が熱くなった。正直にいうと、羨ましいと思った。こんなふうに夏を過ごせる人間に少し嫉妬した。

 すでに5点差がついた9回。貴志川の守備の乱れに乗じて箕島がとどめを刺すように4点を追加。喜びに沸き飛び上がる箕島ナインとは対照的に、貴志川のピッチャーは両手で頭を抱えてグラウンドに立ちつくす。なんという歓喜。なんという絶望。それは、どちらも、僕らが日常体験しようと思っても到底不可能なくらい激しい感情の両極だ。
 何度も手を叩き、駆け回るほどの歓喜を僕は今まで感じた事がないし、誰かに肩を叩かれるまでしばらく立ち上れないような絶望に目が眩んだ事もない。そして、僕が羨望したのは、喜怒哀楽の種類ではなく、感情のメーターの針を振り切るような彼らの体験だった。箕島ナインの喜びはもちろん思い出深いものになるだろうし、貴志川の投手が噛みしめた、その時は奈落の底へ落ちたような悲しみだって、彼にとっていつかかけがえのない記憶として胸に刻まれるだろう。僕は、それは、とても幸福な事だと思う。

 薄い皮膜に心を包み、機械みたいに仕事をして、気が付けば夜だった。そうやって一日を終える虚しさ。だんだん麻痺してゆく。なんにも感じなくなってゆく。俺、ここ2年くらい泣いてないよ。カウンターの隅で友達は虚ろな目をして言った。

 人間は、感情の生き物だから、ドキドキしなくなったら、終わりだと思う。人生は夢だ。脳味噌が司るつかの間の美しい幻だ。だからその間に、多くのシーンに向かい、どれだけ「感じる」事ができるのか。それだけが、ここにいるせめてもの意味なんじゃないか。
 だから、僕はこの夏をなにか特別なものにする必要がある、と息巻いているわけだけども、さて準備。ジーパンを切って半ズボンにしてみた。


Posted by たおまさ at 17:21