1999年03月12日
0.1秒の短縮
かつて僕が短距離走者だった頃、「立ち上がりの田尾」と言われていた。スタートから10メートル有れば他の走者に体一つの差を付けるのは容易だったし、少なくともリレー以外で前を走られたこともなかった。
直線で100メートルのコースを作れなかった狭い校庭の、曲線100メートルを、裸足で13秒を切ったからソコソコ速い方だろう。それなら靴を履けば12秒で、スパイクなら11秒かというと、これが違った。むしろ靴の重さだけ遅くなりこそすれ、速くなることはなかった。同じ人間がほとんど同じ状態で計っても、速かったり遅かったり、何故わずか0.1秒を短縮できないのだろう。
番組の制作に関して感じるいらだちは、その時の陸上選手と全くの対。
かつて僕がテニスプレーヤーだった頃、愛用のラケットは毎日違う重さを感じたし、サービスのスピードさえたった1時間の差で変化した。
しばらくスタジオを繰り返して気付いた事がある。つまり語り手は、自分のベストの状態を0.1秒短縮する短距離走者とよく似ている。そしてラリーの応酬の中のテニスプレーヤーにもよく似ている。敵は相手ではなく自分であり、その戦いもオーディエンスにとってはさして重要でない。
きっと上手く喋れた時の僕は、参考記録にされない程度の追い風と、スタミナの配分の成功に助けられた短距離走者で、返ってくる球を安定したフォームでラリーするテニスプレーヤーみたいなものだろう。
きっと誰もが自分の生活の中で同じ事を繰り返すのだろう。結論はどんな場合でも同じなのだ。
番組の制作に関して感じるいらだちは、その時の陸上選手と全くの対。
かつて僕がテニスプレーヤーだった頃、愛用のラケットは毎日違う重さを感じたし、サービスのスピードさえたった1時間の差で変化した。
しばらくスタジオを繰り返して気付いた事がある。つまり語り手は、自分のベストの状態を0.1秒短縮する短距離走者とよく似ている。そしてラリーの応酬の中のテニスプレーヤーにもよく似ている。敵は相手ではなく自分であり、その戦いもオーディエンスにとってはさして重要でない。
きっと上手く喋れた時の僕は、参考記録にされない程度の追い風と、スタミナの配分の成功に助けられた短距離走者で、返ってくる球を安定したフォームでラリーするテニスプレーヤーみたいなものだろう。
きっと誰もが自分の生活の中で同じ事を繰り返すのだろう。結論はどんな場合でも同じなのだ。
Posted by たおまさ at 05:04