1999年01月14日

エセ・ヒューマニズム

『淳』という本を読んだ。昨年神戸で起こってしまった、あの忌まわしい事件の悲しくも被害者となってしまった少年の父親が書いた本だ。初め僕は、この本を読む勇気を持たなかった。書店でみつけた時にも、気になりながら、買って読もうという気持ちは起きなかった。

 理由はいくつもある。ひとつは余りにも非道な事件であったことと逮捕されたのが「少年」であったこと。考えれば考えるほど「理不尽」な話に胸がふさいだあの事を、もう実は思い出すのも嫌だった。被害者の父の心を思うだけで、胸苦しく、想像するだけでもはらわたが煮えくり返るから、辛すぎる、と感じていたのだった。

 しかし仮に僕と同じ思いの人があるなら、僕は「読むべきだ」と申し上げる。確かに辛い。辛すぎる本も医学の道を歩む著者の理性に救われる所が多い。出来る限り冷静に、しかも公平に発言しようという「義」に満ちていて感動する。もちろん、加害者の母親に対して、時折感情的だが、当たり前だ、とも思う。深く考えさせられることも多かった。

 「人権」とは人間が人間として生まれ持つ、生命や、自由、また平等などを保障される権利のこと。では「人」とは何か?「生きていれば」保障されるが、故人には保障されないのが「人権」なのか?では50年も前のモラルで作られた少年法とは何か?「ヒトが更正する」とはどういうことか?色々考えた。

 そうしてふと己の心の中の「一見平等を装った」エセ・ヒューマニズムに思いあたった。

 生きている加害者と、死んでしまった被害者。「平等」とは一体何か。「自由」とは何か。では「権利」とは?守るべきものを平然とはぐらかす我々の偽ヒューマニズムが、いろいろなものを傷つけていく。無礼な報道や、卑怯卑劣な取材術。それに踊らされる己こそが、この世で最も恥ずべきもの。


Posted by たおまさ at 14:12