1998年10月26日
価値観の多様化
価値観の多様化てな言葉を最近よく聞くようになった。しかし私はこの言葉が好きになれない。そして、価値観が多様化するという事はどういう事かよく考えずに使っている族が多くて困る。
価値観が相対化すると、何をやっても良い、人に迷惑を掛けない限り何をやっても許されるという、パーミッシブ・ソサエティとなる。なんでも許される社会。確かに自由は増える。しかし、その自由のコストを誰も払わなくなる。
パーミッシブ・ソサエティでは、個人と社会、あるいは個人と協同体、このバランスにおいて限り無く個人が重くなってゆく。人間らしく生きたい、人に迷惑を掛けなければ私個人の勝手だ、とエセ・フィロソフィア達が声高に叫び、どんどんこのプロセスが留まるところ無く進んでいくと、価値観の多様化に伴って社会の分解現象が間違い無く起こる。
社会の分解は、廃退そして滅亡を意味する。
パーミッシブ・ソサエティでは、個人と社会、あるいは個人と協同体、このバランスにおいて限り無く個人が重くなってゆく。人間らしく生きたい、人に迷惑を掛けなければ私個人の勝手だ、とエセ・フィロソフィア達が声高に叫び、どんどんこのプロセスが留まるところ無く進んでいくと、価値観の多様化に伴って社会の分解現象が間違い無く起こる。
社会の分解は、廃退そして滅亡を意味する。
Posted by たおまさ at 12:55