1997年09月10日

深夜放送考

 「見せること」もマインドコントロールのひとつ、と書いた。勿論聴かせることも、マインドコントロールのひとつなのだがラジオというメディアは、直接視覚に訴えない分、少しばかりその効果は下がるようだ。

 マインドコントロールにつながるかどうかは定かでないが、確かに、長年同じ番組をやっていると、はがき職人とたたえてもよい「常連」が育ち、次第々々に彼ら自身が番組の色あいを決めるようになる。そうしてリスナーの求める色がパーソナリティにも理解出来るようになる。そうなると不思議なもので、パーソナリティもそういったテーマが好きになる。パーソナリティがマインドコントロールされるようなものだ。その結果番組は人と人との(それこそはがきだけでつながった見知らぬ人と人との)コミュニケーションの広場となり、パーソナリティはディスクジョッキーから”ハガキジョツキー”へと、成長すると思う。聴覚効果の「善なる部分」を素直に愛せるようになる。前回、言葉足らずだったのはこの部分だ。視覚効果の「善なる」部分を果たしてテレビ界は理解しておるのか、という疑問がああ言わせた。

 メディアは、決して一方的に「送りつける」ものであってはならない。コミュニケーションは、キャッチボールになってはじめて成立する。都会のデッチ上げたエセ文化を、地方に垂れ流すのは、もうやめないか?!

 かつてラジオの深夜放送を聴きながら、地方人の一人として、同じ刻を共に迷い悩みながら過ごしているのだ、というパーソナリティーへの共感が、どれ程、生きる勇気を与えてくれたことか。従って深夜放送は、必ず生でなければならない。そうしてパーソナリティは、かつて寂しさに震えながら、ヒザを抱いてラジオにすがった、自分自身に対して、がんばれ、と言い続けなければいけない。おい、聴いてるか、テレビ。


Posted by たおまさ at 03:59