1997年09月03日
野球についてちょっと
高校野球が終わり遠くで秋風のすする鼻の音が聴こえる残暑の中、既にひいきチームのペナントレースも終わったと涙目にいわし雲を映す人も多かろう。だが、我々には野茂がいる。
そう、野球好きの如何を問わず、アメリカびいきの否を問わず、野茂は戦後50年にして初めてアメリカ人に感謝された輸出品となった。世界のノモの成功の理由を例によって識者が語るのを聞き乍ら、ふと前から思っていることを誰も言わないのが気になったので発言してみる。勿論、野茂の成功は、彼自身の努力と力によるものに決まっているが、誰も観客のマナーに言及しない。
マナーとはつまり、応援する態度の話だ。これ程野球好きの私が、ここ数年、プロの試合を見に行かない。何故ならば、あの騒々しい応援が集中力を殺しにくるからだ。あの、のべつまくなしに鳴り続けるラッパと太鼓が、私の口マンを殺しにくるのだ。いや、気持ちが分からんと言うのではない。だが、ほとんど彼らは自己完結に終始する。試合の流れなど無関係に、ひいきが勝てばそれでよい式の、どこかカラオケ公害に似ている。
メジャーの球場にはラッパも太鼓もない。和歌山から鯉のぼりを持ち込もうとした町があったが,球団に断わられたほどだ。観客は、純枠にプレーに集中。7回には一斉にアメリカの第二の国歌と言われる「テークミー・トゥ・ザ・ボール・ゲーム」を大合唱する。良いプレーには敵味方の別なくエールを送る。ゲームのキーポイントには静まり返る。そうして結果大歓声に返る。
もし私が選手なら、騒々しい日本の球場よりメジャーの静かで熱い球場の方が集中出来るに決まっている。赤くて高い炎より、青くて小さい炎の方が温度は高い。「完全燃焼」ってやつだ。愛し方の差と言ってしまえばそれ迄だが、昭和40年代のONと金田、村山、あるいは江夏の対決の静まり返る一瞬に憬れる私には、今の応援は現代ニッポンそのままのチープでわがままでうるさいだけのもの。
野茂はいい観客の前でのびのびしてる。こりゃ亡命だな。
マナーとはつまり、応援する態度の話だ。これ程野球好きの私が、ここ数年、プロの試合を見に行かない。何故ならば、あの騒々しい応援が集中力を殺しにくるからだ。あの、のべつまくなしに鳴り続けるラッパと太鼓が、私の口マンを殺しにくるのだ。いや、気持ちが分からんと言うのではない。だが、ほとんど彼らは自己完結に終始する。試合の流れなど無関係に、ひいきが勝てばそれでよい式の、どこかカラオケ公害に似ている。
メジャーの球場にはラッパも太鼓もない。和歌山から鯉のぼりを持ち込もうとした町があったが,球団に断わられたほどだ。観客は、純枠にプレーに集中。7回には一斉にアメリカの第二の国歌と言われる「テークミー・トゥ・ザ・ボール・ゲーム」を大合唱する。良いプレーには敵味方の別なくエールを送る。ゲームのキーポイントには静まり返る。そうして結果大歓声に返る。
もし私が選手なら、騒々しい日本の球場よりメジャーの静かで熱い球場の方が集中出来るに決まっている。赤くて高い炎より、青くて小さい炎の方が温度は高い。「完全燃焼」ってやつだ。愛し方の差と言ってしまえばそれ迄だが、昭和40年代のONと金田、村山、あるいは江夏の対決の静まり返る一瞬に憬れる私には、今の応援は現代ニッポンそのままのチープでわがままでうるさいだけのもの。
野茂はいい観客の前でのびのびしてる。こりゃ亡命だな。
Posted by たおまさ at 03:56