2006年07月25日
聖徳太子>>和歌山 パワーチャート

飛鳥のヒーロー・聖徳太子と和歌山を結ぶチャート。必須科目。
飛鳥時代
用明天皇の死去に話は始まります。
有力豪族である物部氏と蘇我氏が国政の実権を握っている中で、天皇の権力はないがしろにされており、次期皇位継承者をめぐって物部氏と蘇我氏の間で紛争が勃発。用明天皇の子である聖徳太子は蘇我馬子と組み、額田部皇女をプッシュしました。そうこうしているうちに蘇我馬子が物部氏を滅ぼし、額田部皇女が崇峻天皇を即位させました。
↓ 蘇我馬子が増長し、実権を握られていた崇峻天皇が
↓ 馬子を煙たく感じ出します。
それを察した蘇我馬子、崇峻天皇を暗殺してしまいます。額田部皇女は止むを得ず推古天皇として即位、聖徳太子を摂政に置きます。ここに、元々手を組んでいた皇室チーム(天皇・聖徳太子)と豪族チーム(曽我馬子・蘇我蝦夷)の対立が表面化します。そんな中で、初の女性天皇である推古天皇は聖徳太子と蘇我馬子のトロイカ体制政権をしき、蘇我馬子の顔も立てようとしますが、実権を握ったのは聖徳太子であり、蘇我氏はおもしろくない。
↓
そうこうしているうちに聖徳太子が死去し、追って推古天皇も死去して、蘇我氏のストレスが爆発します。蘇我蝦夷(馬子の子)が本来の皇位継承者・山背大兄王(聖徳太子の子・皇室チーム)を退け亜派・舒明天皇をむりやり即位させてしまいます。この事により蘇我氏が実権を完全掌握、蝦夷が好き放題状態となってしまいます。
後に舒明天皇が死去した際も、蝦夷はまたしても山背大兄王を無視して、舒明天皇の皇后を皇極天皇として即位させます。さらに自分の子である蘇我入鹿を摂政に据えます。蘇我氏の独裁体制が教護になる中、調子に乗った入鹿が山背大兄王を襲撃、殺害します。これにより聖徳太子一族は滅亡してしまいました。
↓ こうなると蘇我氏の横暴を停めようとする派閥が出てきます。
反蘇我氏の筆頭、中大兄皇子(舒明天皇の子)と中臣鎌足が蘇我入鹿殺害を共謀、実行します。このクーデターが『大化の改新』です。それを見た蘇我蝦夷は最後を悟り自決、蘇我氏は滅亡するに至ります。豪族支配政権の終焉です。
クーデター成功を受け、皇極天皇は弟の孝徳天皇に譲位、中大兄皇子が皇太子に付きます。
やがて孝徳天皇は死去し、皇極天皇がふたたび斉明天皇として即位します。
ここで登場するのが孝徳天皇の子である有馬皇子。とある酒宴で反中大兄皇子派に担ぎ上げられ、謀反の濡れ衣を着せられてしまいます。和歌山・白浜へ遊行中だった斉明天皇&中大兄皇子にその一報が。有馬皇子は和歌山に呼び出され、藤白峠で殺害されるのでした。
つながりました。
中大兄皇子(天智天皇)といえば、弟の大海人皇子の妻、万葉美女歌人・額田王を寝取ったりして、その軋轢が『壬申の乱』の元凶だったりしてなかなかに面白いんだけど、それはまた後日。
参考:天皇の系図
http://tsushima.homeip.net/ore/rhs/keizu.html
----------------------------------
聖徳太子ってナニモノ?って人、実は多いんじゃないでしょうか。彼の本当の名前、厩戸皇子が示すとおり、れっきとした正統皇位継承者なわけですな。上宮家皇太子。ましかしセカンドマンに徹して政治に実力を発揮したというところがけっこうカッチョイイところであります。
聖徳太子 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90
用明天皇の死去に話は始まります。
有力豪族である物部氏と蘇我氏が国政の実権を握っている中で、天皇の権力はないがしろにされており、次期皇位継承者をめぐって物部氏と蘇我氏の間で紛争が勃発。用明天皇の子である聖徳太子は蘇我馬子と組み、額田部皇女をプッシュしました。そうこうしているうちに蘇我馬子が物部氏を滅ぼし、額田部皇女が崇峻天皇を即位させました。
↓ 蘇我馬子が増長し、実権を握られていた崇峻天皇が
↓ 馬子を煙たく感じ出します。
それを察した蘇我馬子、崇峻天皇を暗殺してしまいます。額田部皇女は止むを得ず推古天皇として即位、聖徳太子を摂政に置きます。ここに、元々手を組んでいた皇室チーム(天皇・聖徳太子)と豪族チーム(曽我馬子・蘇我蝦夷)の対立が表面化します。そんな中で、初の女性天皇である推古天皇は聖徳太子と蘇我馬子のトロイカ体制政権をしき、蘇我馬子の顔も立てようとしますが、実権を握ったのは聖徳太子であり、蘇我氏はおもしろくない。
↓
そうこうしているうちに聖徳太子が死去し、追って推古天皇も死去して、蘇我氏のストレスが爆発します。蘇我蝦夷(馬子の子)が本来の皇位継承者・山背大兄王(聖徳太子の子・皇室チーム)を退け亜派・舒明天皇をむりやり即位させてしまいます。この事により蘇我氏が実権を完全掌握、蝦夷が好き放題状態となってしまいます。
後に舒明天皇が死去した際も、蝦夷はまたしても山背大兄王を無視して、舒明天皇の皇后を皇極天皇として即位させます。さらに自分の子である蘇我入鹿を摂政に据えます。蘇我氏の独裁体制が教護になる中、調子に乗った入鹿が山背大兄王を襲撃、殺害します。これにより聖徳太子一族は滅亡してしまいました。
↓ こうなると蘇我氏の横暴を停めようとする派閥が出てきます。
反蘇我氏の筆頭、中大兄皇子(舒明天皇の子)と中臣鎌足が蘇我入鹿殺害を共謀、実行します。このクーデターが『大化の改新』です。それを見た蘇我蝦夷は最後を悟り自決、蘇我氏は滅亡するに至ります。豪族支配政権の終焉です。
クーデター成功を受け、皇極天皇は弟の孝徳天皇に譲位、中大兄皇子が皇太子に付きます。
やがて孝徳天皇は死去し、皇極天皇がふたたび斉明天皇として即位します。
ここで登場するのが孝徳天皇の子である有馬皇子。とある酒宴で反中大兄皇子派に担ぎ上げられ、謀反の濡れ衣を着せられてしまいます。和歌山・白浜へ遊行中だった斉明天皇&中大兄皇子にその一報が。有馬皇子は和歌山に呼び出され、藤白峠で殺害されるのでした。
つながりました。
中大兄皇子(天智天皇)といえば、弟の大海人皇子の妻、万葉美女歌人・額田王を寝取ったりして、その軋轢が『壬申の乱』の元凶だったりしてなかなかに面白いんだけど、それはまた後日。
参考:天皇の系図
http://tsushima.homeip.net/ore/rhs/keizu.html
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聖徳太子ってナニモノ?って人、実は多いんじゃないでしょうか。彼の本当の名前、厩戸皇子が示すとおり、れっきとした正統皇位継承者なわけですな。上宮家皇太子。ましかしセカンドマンに徹して政治に実力を発揮したというところがけっこうカッチョイイところであります。
聖徳太子 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90
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Posted by たおまさ at 23:55
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